人生って常に選択の連続なんだよね。
というか、選択していくことが人生なのかな。
それは、お茶を飲むかコーヒーを飲むかっていう選択から、誰と結婚するかどんな仕事をするかという選択まで様々なレベルで行われている。
そして、選択するってことは同時に選択したもの以外を選択しないっていう選択をすることでもある。その結果、人生には選択したもの以上に選択しなかった無数の選択肢が存在する。
この選ばれなかった選択肢をどう考えるかは人によって異なるだろう。
ある人は自分が選択肢ものが最善のものだったと信じる、もしくはそうだと自分に思い込ませる。
またある人は自分の選択が最善のものだったのか自信が持てず、選ばれなかった選択肢の中にもっといい選択があったのではないかと考える。
おそらく前者のほうが生きやすいのではないだろうか。
後者の場合い、選ばれなかった選択肢にとらわれ思い悩むこと多々あるからである。なぜ選ばれなかった選択肢にとらわれるかというと、それは選ばれなかったからこそ美化され汚されることがないからである。もちろん、なんとか自分の選択を肯定する努力をする。たとえば、右と左二つの道路があり、右に行って車に轢かれて怪我をしたとする。その場合、もし左の道に行っていれば車に轢かれて死んでいたかもと「考えてみる」ことで自分の選択を肯定することができるかもしてない。ただこの場合でも、そこには常に故意にそう「考えよう」としている自分を意識することになり、真に自分の選択を肯定することにはつながらない。
俺はきっと後悔ばかりしてしまうタイプなのだろう。
そして、もっと厄介なことに、自分の選択がベストだったと言い切る人に出会うたびに、その言葉を素直に信じることができず、ベストだったと思い込んでいるだけじゃないのかと思ってしまう。
でもそんなことは結局無意味。「そうであること」と「そうであると思い込んでいること」は結局大差ないからである。バナナなが好きだと思い込んでいる人はバナナが好きな人とほとんどかわらない。

俺も自分の選択を肯定していける人間になりたい。